明治三三(1900)年5月、清国公使館付の駐在武官として北京に赴任した柴五郎陸軍中佐は、いきなり危機に見舞われた。折しも清国では攘夷運動が激化し、のちに義和団の乱と呼ばれる状況であった。紫禁城近くの外国公使館が集まる在外地区「東公民巷」周辺でも不穏な動きが起きていた。ドイツ公使殺害事件や日本人にも犠牲者が出るに及び、日本をはじめとする公使館は団結して、救援が来るまでの籠城戦を決意する。しかし、各国の寄せ集め軍隊の上に、日本本国からは「各国と足並みを揃えよ、出過ぎたまねをするな」という指示......。ここに柴中佐たちの、50日以上に及ぶ戦いが始まった!!